5.第二志望の人生 ―第二志望の高校で大切な友人との出会いー

2018/01/01

5.第二志望の人生 ―第二志望の高校で大切な友人との出会いー

自分の歩みを振り返ってみると「第二志望の人生」でした。でも、第二志望で選択した道が今の人生にとても大きな実りをもたらせています。

1)第二志望の高校で大切な友人との出会い

大阪の第8学区の三国丘高校は、現役での東大入学が何人もいる高校です。母親は小学校の担任から三国ヶ丘高校に行くことができるといわれたと教えてくれました。自分のなかでもその頃から三国ヶ丘高校に行くと思っていました。しかし、入学したのは第二志望の泉陽高校でした。第二志望だったからこそ高校生活を満喫し、一生つきあうことができる友人達と出会いました。

①高校の選択と高校生活

中学校3年生の時の三者面談で、担任から三国丘高校はもう少し頑張らないと難しいといわれました。そのときはあまり悩むことなく、泉陽高校受験を選択しました。

私が学生だった頃は、「泉陽温泉」といわれるのどかな校風で、一生懸命クラブ活動をしている人が多い学校でした。中学校ではクラブ活動をしていなかった私も、クラブに入ることにしました。運動が苦手な私は混合合唱のクラブ (Senyo Mixed Chorus Club SMCC)に入部しました。運営も指揮者も全て学生が行うクラブでした。入部後は6月のリサイタルに向けて、放課後の練習に加え、朝練、昼練していました。また、9月のNHKコンクールの最優秀賞受賞を目指した、夏休みも毎日練習がありました。

私の学年は1年生と3年生で最優秀章でした。しかし、1年生のとき私は舞台には立っていません。NHKコンクールは出場できる人数の上限が決まっています。そのため、大会の前に各パートから1名ずつ出てみんなの前で歌い、3年生によって出場者の選抜されました。1年生の時は3名が出場できませんでした。そのひとりが私です。その3人のうち3年生の終了時までクラブを続けていたのは私だけでした。

私は常に「自信のなさ」を感じていました。SMCCの後輩には中学時代から真剣にコーラスをしていた人や、後に音大に進学するような人がたくさんいました。3年生になり指導する立場になっても、ずっと自信をもつことができないままクラブを続けていました。

②第二志望の人生だったからこそ得ることができたこと

入学直後に行われた全学年共通テストでは450人中約50番でした。それもクラブ活動が満喫できた要因の1つだったのかもしれません。しかし、すぐにそれは「甘い考えだ」と知る出来事がありました。1年生の夏休みは毎日クラブ活動に明け暮れていたため、夏休み終了後の全学年共通テストでは450人中400番でした。最初は前に50人。2回目は後ろに50人。ポジティブに考えれば、ここまで落ちたらこれ以上落ちない。

3年間打ち込むことができるものがあったということは、とても良い思い出です。また、中学時代に「親友」と呼べる友人がいなかった私にとって、SMCCで一生つきえる友人達に出会いました。また、先輩達にも恵まれ、今でも定期的に数学年を対象としたSMCCの同窓会を開催してくださいます。高校の同窓会館に集まり懐かしい歌を懐かしい人たちと一緒に歌うとき、高校時代の私にもどることができます。