6.第二志望の人生 ー大学受験の失敗(教育学部不合格)から違う形での夢の実現ー

2018/01/01

6.第二志望の人生 ー大学受験の失敗(教育学部不合格)から違う形での夢の実現ー

自分の歩みを振り返ってみると「第二志望の人生」でした。でも、第二志望で選択した道が今の人生にとても大きな実りをもたらせています。

1)大学受験の失敗

高校時代に入っていた混合合唱のクラブ (Senyo Mixed Chorus Club SMCC)は、スポーツクラブ並みに真剣に練習をするクラブでした。NHKのコンクールの最優秀賞受賞を目指し、3年生の夏休みも毎日練習していました。引退したのは9月。自分でも合格するはずはないと思いながらも、小学校の先生を希望していたため、ある国立大学の教育学部を受験したのですが不合格でした

女性が浪人することが少ない時代でした。そのため、大阪歯科大学歯科衛生士専門学校に入学しました。専門学校の担任の娘さんはわたしと同じ年でした。そして、わたしが不合格となった大学に進学されていました。たぶん、「その大学に不合格だった」と明るく伝えたような気がします。今から考えるとすごい「縁」ですね。

2)違う形での夢の実現

その担任の先生との出会いにより、自分の夢が違う形で叶えることができました。卒業して6年後に大阪産業大学附属歯科衛生士専門学校で産休の代替教員を探しているという連絡をくださったのは、当時の担任の先生でした。また、翌年の4月からは常勤の専任教員を雇用する予定だということでした。27歳で専門学校の教員になり、「先生になる」という夢が叶いました。

そして、9年間の専門教員として歯科衛生士養成に携わっていたという経験が、後に新潟大学校口腔生命福祉学科の教員の道につながることになりました。国立大学に不合格だったわたしが、国立大学で教えることになるなんて夢にも考えていませんでした。